こんにちは!Lucy(@Lucy93014)です。
遂に夢が叶いました。
声優事務所に所属することになりました。
ですが、結果から言うとまだ所属しません。なぜなら現在、都内のデザイン専門学生だからです。
並行してやるには無理があります。
超人気声優の佐倉綾音さんは高校生から声優をやっており、大学も卒業していますよね。
僕の場合は違います。専門学生は両立が不可能なんです。
大学はコマを自分で選択できますが、専門学校はコマ割りがあらかじめ決まっています。
今回はそのその両立がダメな原因を解説するとともに、声優事務所所属に至った経緯も説明していこうと思っています。
そして最後に、何から始めたらわからない声優志望のためにメッセージを送ります。
1. 十五才で声優になると決心して、十九才で声優事務所所属になった経緯
①【中学2年生】声優になると決意
②【高校一年生】通信制の声優学科を両立
③【高校2年生】ドラフトオーディションに参加
④【専門学校1年生】声優事務所直轄の養成所に入所
⑤【専門学校2年生】飛び級試験に合格→事務所所属へ
僕が声優になった経緯はご覧の通りです。
僕が声優になろうと思ったのは中学2年生の時なんです。
きっかけはアニメと外画でしたが、アニメは全然詳しくありません。
「鬼滅の刃が流行ってる」って言うのが辛うじてわかる程度です……。
この一連の流れの中で、大きな関門がいくつもありました……。
その中でとりわけ大きな関門4つを紹介して行きます。
1-1. 関門① 通信学科に相談したこと
1番最初に行動したのが中学3年生の冬でした。
高校に通いながら声優の学校に通うには、近場に声優学科があるのが必須条件です。そして+α交通費がかかる……。
僕は山口県出身でいて、裕福な家庭ではなかったので毎週都心に通うのは不可能でした。
だから僕は通信制の声優学科に入学することに決心しました。
ここで忘れてはいけないことは、両親の承諾が必須ということです。僕の家庭は幸い、理解がある両親だったのでダブルスクールに通うことができました。
- 通信に通うことを決意する
- 両親の承諾を得る
いじょうの2つが、僕にとって人生最初の関門でした。
1-2. 関門② ドラフトオーディションの参加権を勝ち取る
僕が通っていた、通信学科は毎年ドラフトオーディションをやっていました。
ドラフトオーディションは、声優プロダクション関係者30人以上の前で「自己PR」「セリフ・ナレーション」をして自分を売り込むオーディションのことです。
通信制は、2年間在宅で授業を受け、成績優秀者にのみドラフトオーディションを受ける権利が得られる制度でした。
正直、今思えばこの2年間は、カリキュラムだけではほとんど成長できませんでした。
毎日基礎練習を自己練習しないとあまり意味がありません。
そこで声優への覚悟がある人とない人がふるいにかけられるんですね。
僕はそこでドラフトオーディションの参加権を勝ち取りました。
1-3. 関門③ ドラフトオーディションで東京へ行く
そして高校2年の夏、ドラフトオーディションを受けに東京へ行きます。
ここで周りのライバルと初めて会います。
まず、熱気が全然ちがいます。
皆さん発声練習と滑舌練習のプロです。
自分は正直隅っこでひっそりと配られた資料を読み込んでいただけでした。
しかしそんな僕が見事今所属している声優プロダクションの目に留まり、特待生として養成所に合格することができました。
1-4. 関門④ 養成所の飛び級試験
そして上京して、養成所生として1年間稽古の日々です。
周りは皆さん年上。(中には30代の方もいらっしゃる。)僕だけ10代です。
最初30人くらいいたのが、いつのまにか12人ほどに減って、毎回現役声優の講師の方にボロクソに言われて一喜一憂の日々です。
そんな中1年間続けて、最後に飛び級試験として社長の前で自己PRをして、なんとか飛び級試験を合格して事務所所属の権利を得ました。
2. [まとめ]なりたいなら今行動するべき
声優になりたいけど、まず何からやればわからないあなたへ
①とりあえず行動する
②未成年は両親へ相談する
上の2つが肝心です。
両親から了承を得られない場合は、とりあえず自立するまで基礎練習を続けてください。
僕は今まで様々なライバルを見てきて、声優志望は本当に腐るほどいました。
彼らの大半は、何かに偏った知識があります。
例えばアニメオタクであったり、声優オタクであったり……。
いわば声優のファンでしかないのです。
声優志望の人は、ファンから抜け出してください。
どうやったら声優になれるのか、まずは、役者という観点から分析することで、今自分は何を学ぶべきなのかが分かってくるはずです。
この記事があなたにとって参考になることを願っています。